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和歌山の熊野で「NAKBA」

今日は、和歌山の熊野で地元の材料を使って いろいろな食品を作っている 熊野鼓動 という会社で活躍中の友人が、 開催することになったイベントのお知らせ。 あぁ自分では行けなさそうなので、 お近くの方はぜひに~~ 許可を得て転載します。転載元は ここ * * * 「10月3日に映画の上映会を開きます」 今週の土曜日(10月3日)18時より、世界遺産熊野本宮館大ホールにて、自主上映会を開きます、「パレスチナ1948 NAKBA(ナクバ)」というドキュメンタリー映画のワンシーンです。 ��★rakueco注:写真は転載元の記事をご覧下さいね。 こちら ) 軍事封鎖されたパレスチナ自治区に食料運搬の許可を求めるデモで、イスラエル兵に対して長時間のVサインで抗議するパレスチナ女性の映像です。(撮影はこの映画の監督の広河隆一さん、2004年4月) 映画の予告編のなかで、一番印象に残ったシーンでした。 武装した兵士を目の前にした無言の抗議。 緊迫感漂う映像に釘付けになりました。 この映画を見てみたいというのが、私が自主上映会を企画したきっかけでした。 1948年は国連の決議により、イスラエルがパレスチナの地に建国された年です。 このときに多くのパレスチナ人が住んでいた土地を追われました。 そのことをパレスチナ人はNAKBA(ナクバ)というアラビア語で表現しています。 大惨事とか、大破局とかを意味します。 監督の広河隆一さんがパレスチナに関るようになったのは、1960年代の後半。 広河さんはキブツと呼ばれるイスラエルの共同農場で働いていました。 キブツは理想的な社会主義が実現している場所として、当時の若者たちから憧れの地と思われていた場所でした。 その理想郷のような土地の畑の横で、広河さんは瓦礫となった廃墟を見つけました。 それは追い出されたパレスチナ人の村の跡だったのですが、 この廃墟はいったい何なのだろうと疑問に思った広河さんは、この事実を伝えなければならないと考え、フォトジャーナリストとしてその後40年以上、パレスチナに関るようになったのです。 多くの人にインタビューし、多くの場所を訪ねて、40年間に撮った映像は数千時間になりました。 それをまとめたのが、この映画です。 パレスチナの地で起こったことは、断片...

ラミネート生地のかばん

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とても久々に。 やっと空いてる時間を使って作ったかばん。 母が万葉ゆかりの地を歩くグループ活動で (う~ん風流)雨が降ったとき用に。 初めてラミネートされた生地で作ってみた。 B5のノートが少し奥まで入る感じで、 少しだけマチもつけた。 取っ手は手提げでも肩からかけても 大丈夫な長さにした。 外側はシンプルな方がいいと思ってがまん。 内側にお気に入りの蝶を貼り付けた。 内布はコットン。 反対側はポケット。左側のステッチリボンは すぐ取り出したい小物をキーリングなどで つけられるといいかなと思って付けた。 母をイメージして作ったけど 気に入ってくれるかな? ラミネート生地はマチ針がさせないので、 代わりに小さくてしっかり留まる このクリップ を使用。便利♪ また表地がラミネート生地なので、 表地を縫うときは この透明の糸(60番) を使った (このお店は糸が安いので、その他の糸もこのお店でまとめ買い)。 またラミネート生地をミシンでうまく送れるか心配なので、 送りジョーズというアタッチメントをミシンに使ったら、 スムーズに縫えた。 (アタッチメントなしでも縫えたかも?でも心配性なので・・・^^;)