2011年3月11日のこと

昨年の今日は、まだ一昨年の今日のことを
振り返る気にはなれなかったけど、
今年はできそうなのと、細かいことの記憶が
薄れていく気もするので、書いておこうと思う。

私の住む場所は揺れはあまりなく、
地震の揺れによる直接の影響は受けていない。
東日本大震災で直接的な影響を受けた方達の
ことを思うと何でもないに等しいことだけれど、
とりあえず自分の経験を記録しておく。

以下は2011年3月11日のほぼ日手帳の
メモを元に書いた。

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PM2:46に地震発生。
カタカタカタカタくらいのが始まり、
しばらく続く。
立って窓辺に行くと、カタカタが
少し大きくなると同時に、
めまいがしているような
大きな波のような動きも感じる。

夫が二階から下りてきて、
長いね、大きいねと言っていると、
さらにカタカタが強くなってきたので
外に出て様子を見ていたら、
しばらくして揺れが止まる。
 
どこかでかなり大型の地震が起きたねと
言いつつ、庭でしばらく過ごす。
電気が止まっていて、ガスと水道は使える。

夫の普段からの用意のおかげで、
ラジオ、懐中電灯、ろうそくがそろっていて
ありがたい。

PM3:09に、もう一度小さ目の地震があり、
その間も小さなカタカタとした余震あり。

仕事はできなくなる。

少し明るいうちにお肉を焼いてご飯。
PM9:00、まだ停電が続く。

宮城の人、岩手の人、茨城の人、
東京で帰れない状態の人・・・
たくさん。

昨日の夜、中耳が痛くなったのと、
今朝、飛行機の音がものすごく大きかったことは
何か関係があるのかな。

停電は、朝方に解消したようだ。
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阪神淡路大震災のときに関西におり、
やはり直接大きな被害はなかったが
日々明らかになる被害を無力感を持って
見ていた記憶があるので、
今回の地震の揺れの長さと異様さから
多分またとても大きな地震がどこかで
起きたのだと感じて、心が沈んだ。

地震当日は、主な問題は停電だけだったが、
その日をやり過ごすことと不安解消に
役に立ったことは次の点だった。

・ 手元に電池満タンのラジオがあったこと。
インターネットが使えない中で
断片的でも何らかの情報が入ったことはありがたかった。
・ 電池満タンの懐中電灯、ろうそく、ライターが
常備していた場所にあったこと。
・ お風呂に水をためていたこと。
水が止まった場合を考えたとき安心できた。
・ ペットボトルの水、パスタ、お米、缶詰、
トイレットペーパーなどを大目に常備していたこと。
物が品薄になる場合を考えたとき安心できた。
・ 何より、ガスがプロパンで、料理ができ
お湯が沸かせたこと。水道の水が出たこともありがたかった。
・ 使っていないが電気を使わずスタートできる
石油ストーブと灯油を常備していたこと。
必要とあれば使えるというのは安心できた。

夫は「そこまでしなくても」というほど普段から「備え」に気を使う。
けれどやはり寸断された場合を考えたときに
数日間やり過ごせる分だけ備えがあることは支えになる。

 

当日の夜。


NO NUKES メモ:
原発ゼロに向けて法案準備と議論を進める
超党派国会議員による「原発ゼロの会」というのがある。
ここが出したブックレット「日本全国 原発危険度ランキング」は
危険なものから廃炉にしていくためのランキング、
原発ゼロに向けての具体的イメージ、
原発ゼロと原発立地自治体のその後の振興を進める法案骨子
などが掲載されている。薄くて読みやすい。

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